ふたごはたいてい区別がつかない

小学2年生の頃、好きな子をふたごの子と間違えた苦い思い出

宗教の見方、あるいは雲の眺め方

こんにちは、今日は一日どんよりな曇り空でしたね。明日以降は雨は降らないようなのでまだ気分はよいですね。

 

ここ最近、またラジオをよく聴くようになりました。ラジオは良いもので、自分の趣味とは違う音楽に多く触れることができます。音だけであることを意識したCMも多く、聴いていて飽きません。先日、友人とラジオを聴いていると、ある宗教団体のCMが流れてきたのをきっかけに宗教についての話が始まりました。

僕も友人も特に信仰している宗教もなく、信仰をするという感覚がありません。話の中で、信仰をするのは日常に意味付けをすることではないか。という意見が出ました。

勝手なイメージかもしれませんが、良いことや悪いことが起こったとき、何かしらの意味付けを宗教ではしているイメージがあります。よくよく考えてみると、意味付けができて初めて人間は納得ができる生き物だとも思います。

 

ところで、青空に浮かぶ雲が何かに似ている。なんて会話は誰しも経験があると思います。雲の形には意味なんてありませんが、何かに似ていると思うことで、僕たちは雲に意味付けをしているように思います。人知の及ばない自然現象である雲の形を通して、世界を意味づけるのは何物でもなく、自分自身だと実感するのです。

そのように考えると、名状しがたい現象に直面した時、信仰が生まれるのかもしれません。