ε-δ論法の洗礼
こんにちは、今回は数学の話に戻っていきましょう.
さて突然ですが、しばしば「高校数学と大学数学は全く違う」とか「高校数学が好きな人は大学では数学科より工学部や物理学科に行ったほうがいい」などの意見を聞きます.今日はこれについて話していきます.
なぜこのような意見が出てくるのかについて考えたときに、その理由をもっとも顕著に表しているのは極限の厳密な定義、「ε-δ論法」だと思います.
皆さんは数学Ⅲで学ぶ「極限」という概念をご存知でしょうか.数学Ⅲの教科書には極限とは以下の言葉で説明されています.
Def 極限の定義(数学Ⅲ)
関数において、変数がと異なる値を取りながらに限りなく近づくとき、それに応じての値が一定の値に限りなく近づく場合と書き、の時の関数の極限という.
以上が数学Ⅲの教科書に記載されている定義ですが、限りなく近づくとはどういうことなのでしょうか、今の言葉だけの定義だと捉え方が複数通りあり、数学的な厳密な定義とは言えません.
それでは厳密に定義してみましょう.その為に言葉の準備をします.
は「任意の」を意味する記号で、は「存在する」を意味する記号です.
Def 極限の厳密な定義(ε-δ論法)
が成立するとき、のときの関数の極限という.*1
このε-δ論法が難解であるゆえに、「僕が好きだった数学は微分積分でブイブイ言わせるアレなんだ!こんなんじゃない!」となって大学数学は高校数学と違う!となるようである.非常に哀れなことです.個人的にはε-δ論法に馴染めなくて数学が嫌いになるような人は、そもそも高校数学で数学をしていたというよりも、算数をしていたと行っても過言ではないと思います. そのことについて以下で説明します.
まずε-δ論法の論理記号を日本語にしてみます.
これは、「任意の正のに対し、ある正のが存在し、となるならば、となる.」と読みます.
一番難解と思われるのは最初の部分です.「任意の正のεに対し、ある正のδが存在する」この部分がわからない人が多いのです.
εやδといった不慣れな文字を使うのをやめて、馴染み深い例と共にこの文言が何を主張しているのかを知りましょう.
「関数において、以下のことが言える.
に対して、が定まっている」
とても当たり前のことをいっている.を決めてあげると、それに対応しての値が定まっているのである.
同様にして、上のε-δ論法においては、任意に取ったεに対してδが決まっている、すなわちδはεに依存しているのである.わかりやすくδ(ε)と書くこともある.
ε-δ論法を理解できない人はとても多くいる.おそらく、文字の依存関係について深く考えたことがないのであろう.しかし、この程度の依存関係を意識しないと解けない入試レベルの問題など山ほどある.東大や京大の数学の合格者平均が5〜6割であることが頷けるであろう.
また、このような文字の依存関係などを意識して議論を進めるのが数学なのであって、決して計算だけで終わるようなものではない.
何が言いたいかというと、大学の数学は高校の数学と違うと言っている人は、そもそも高校の数学についてすらしっかり知っていない
論理的に数学をやる楽しみをぜひ多くの高校生に知ってもらいたい.
そう言えば、高校1年生のとき、2者面談にて数学科を志望していることを数学教員の担任に告げると、「数学科の数学は違うからやめておきなさい.工学部や物理学科にしておきなさい」 と問答無用に言われてしまった.今ならはっきりと言えるけれども、彼は数学を知らなさすぎる*2