ふたごはたいてい区別がつかない

小学2年生の頃、好きな子をふたごの子と間違えた苦い思い出

回顧:尊敬した人、ちーさま

最近、暇さえあれば本を読んでいる。正確に言えば、本を読める暇な時間は本を読んでいる。電車やゆっくり寝ころびたいときは本を読む。歩いているときはラジオを聴く、食事中はテレビや動画を見るなど、緩急をつけることにしている。

 

高校生の頃、ちーさまという本の虫ともいえる友人がいた。周りの人間は「ちーちゃん」と呼んでいたが、僕は敬意を込めて「ちーさま」と呼んでいた。

記憶にあるちーさまはずっと本を読んでいたけれど、寡黙だったわけではない。話すところは話す、不思議な人だったし、けれど抜けている人だった。一方で、本人に面と向かって言われたわけではないが、ちーさまにとっても僕は不思議な人だったのだろうと思う。

 

ちーさまは優秀な人だった。勉強もできたし、人が気づかないことにもよく気が付く。数年前に行われた同窓会は、ちーさまが担任ですら忘れていた「十年後の友人への手紙」のことを言い出さなければ行われなかったであろう。その同窓会で、僕とちーさまはクラスメイトの中で博士課程に進むただ二人の人間だった。きっとちーさまも僕と同様「お前は博士まで行くよな」と思ったに違いない。

 

ちーさまは文化的な人間だったのだと思う。ちーさまが志した大学は文化的な人間が好むであろう大学だった。勤勉な彼女は難なく進学するのだと思ったが、そう簡単ではなかった。内心、高校で典型的な優等生の、融通の利かない友人がその大学に進学したのに、ちーさまが不合格なのは納得がいかなかったのを覚えている。

ちーさまは、浪人はないと言っていたが、浪人した。高校三年間、不勉強だった僕は当然浪人したが、奇しくもちーさまと同じ予備校になった。しかも志望校が似通っていた僕たちは同じクラスになった。

浪人時代のちーさまとのやり取りはくすぐったかった。僕は数学ではトップを取っていたが、他はボチボチといったところだった。満遍なく優秀なちーさまには敵わなかった。予備校のスカラシップまで取った彼女に過大評価されるのは悔しさとともに、僕に彼女に対する畏敬の念を抱かせた。

 

たまにこの話をして、伝わらないもどかしさを感じるが、僕自身は浪人生において最もつらいのはセンター試験明けだと思っている。ある程度全力を尽くした人間にもうやることなどない。完ぺきではないのだが、できることはやっている。やることがないが、やらねばならぬ。そのような矛盾が浪人生を苦しめる時期だと思う。

そこそこ真剣に浪人生活を送った僕自身も、その矛盾に苦しめられた。完ぺきではないのにやらねばならぬ重圧に、耐えかねた僕はちーさまに尋ねた。

驚いたことに、ちーさまも動かぬ手を無理やり動かして努力していると言う。彼女ほど勤勉な人間が、無理やり動かして努力していることに衝撃を受けたのを覚えている。

 

本を読み進めるごとに、ちーさまをぼんやりと思い出す。ちーさまは変わっていた。我が闘争を読む僕に、面白そうだといい、僕は我が闘争を貸した。我が闘争は難しい。牢獄のヒトラーの言葉を文字に起こしただけではない、理解しがたい難しさがある。けれど、彼女は面白いと言いながら読んでいた。きっと今も僕には理解できないことに興味を持って面白いと言っているとおもう。そう思わせる彼女に、今でも畏敬の念が絶えない。

最近読んだ本 流星ワゴン

今回は重松清著の流星ワゴンを読んだ。

 

物語としては、死にたいと感じるほどの絶望を感じている中年の主人公が、なぜそのような状況に陥ってしまったのか。その運命の分岐点を主人公と同じ年齢の父と巡る話だ。

運命の分岐点を巡るが、後悔の真実、原因を探れるだけで未来は変えられない。ちゃんと話さなければいけない人とちゃんと話す。そんな物語。

 

物語を通してふたつの「父親の姿」が描かれる。

ひとつは、家長として権威を振りかざす威厳のある父。もうひとつは、愛情を振りまく子供の様子を伺う父。

それぞれの父親をもった子も、それぞれ父親を嫌うこの姿が描かれる。

親の心子知らずとはよく言ったもので、もっと伝えることができるだろうけれど、それが難しい。けれど、大人も子供のこともよくわかっていないと思う。将来親になった時にそれは肝に命じないといけない。

 

本を読みながら、ウマの合わない父親のことと、僕の受験期の母親のことを思い出していた。

僕の父親はすごく嫌味ったらしくものを言う。きっとそうしないと話せないのだと思う。会うと、なぜこの人はこんな嫌なことを言うのだろうと感じて、尊敬の念は消えてしまう。これがもどかしい。

受験期の母は、何も言わなかった。振り返ってみると本当に何も言わなかった。無関心ではない物事に対し、何も言わないのはきっとすごく強いことで、苦労がいることだと思う。それを知らない僕はきっと野暮なことを言っていたのだと思う。そんな母と受験後半は喧嘩をして二ヶ月ほど口を聞かなくなった。今更、子供を信じる愛を感じた。

 

最近読んだ本 阪急電車

10年くらいぶりに有川浩の「阪急電車」を読んだ。

 

阪急電車」は阪急今津線に乗る人たちの人間模様を描いた物語だ。

物語の中で、電車の中には人それぞれ物語を持っている。ひょんとしたことから恋が生まれた瞬間、婚約者を寝取られた女性、DVを受けている女の子、田舎から出てきた男の子と女の子の馴れ初め、身の丈に合わない付き合いをさせられる主婦。

 

確かに電車に乗って、乗っている人を眺めると、それぞれ何かしらの物語がありそうだと思う。最近だと、きっと厳しい部活に所属しているのであろう女子高生が記憶に残っている。見るからに体調が悪そうな女の子が、先輩が電車から降りようとしている背中に向かって、お疲れさまでした。と一礼をした。しんどそうに溜息をついて、咳をしながら次の駅で降りて行った。甘ちゃんの自分は、しんどい時は休めばいいし、休めない部活は辞めちゃえばいいと思ってしまう。

 

こんな風に、電車で人間模様を見るのは楽しい。こうやって電車で人を眺めていると、アニメ「SHIROBAKO」で、登場人物の一人が、「自分にはやっぱり物語が必要なんだ」と言っていたのを思い出す。そして、その登場人物はこう付け足す。「要らない人間がいるのはわかります。」と。

 

物語が必要な僕にとって、電車が人々の物語を運んでいる気持ちはとてもよくわかる。

 

空気清浄機について

昨年の年末に空気清浄機を購入した。 購入したのはシャープ製の2万円くらいのもので、ワンルームだとこれで十分すぎるくらいのものだ。

空気清浄機を買った理由としては、単にハウスダスト対策ができればと思ったくらいで、機能面はあまり重視していなかった。 ちゃんと比較はしていないが、パナソニックダイキンの同価格帯の製品と機能は同じであると思う。

そんな中でシャープを選んだのは「プラズマクラスターはシャープだけ」というフレーズが残っていて、プラズマクラスターというのが一体なにかはわからないが、空気清浄機といえばシャープという感覚があったからだ。 けれど、よくよく考えるとこれは不思議な話で、シャープといえば「液晶のシャープ」であり、「世界の亀山」ブランドだったはずだが、液晶事業が下火となったいまは空気清浄機の代名詞(少なくとも僕にとって)になっているのはすごい。

プラズマクラスターはシャープだけ」というワードで代名詞となりうるのだから、マーケティングというのは奥が深そうだと感じた。

百聞は一見に如かず

昨年の11月に皆既月食があった.世間では大きく報道され,「○○年に一度の天体ショー」なんてワードが多くみられた.僕含め,ふだん長時間見上げることなどない空に目を凝らした人は多いと思う.自然現象を体験することは特別な興味を与えるもので,例えば,アインシュタインも父から貰ったコンパスを通して科学に興味を持ったという.当時は実際に観測をしていないが,皆既月食には僕自身も特別な思い出がある.

小学1年生のころ,星に思いを馳せていた.常に図鑑を持ち歩き,将来の夢は天文学者だった.星の名前を覚えたり,太陽系の惑星の組成を調べたりすることがとても楽しかった.ある日,図書館においてあった図鑑に日食と月食の仕組みについて書かれていた.太陽と地球と月が一直線に並ぶときに月食が起きるという.それを知ったとき衝撃を受けた.もともと月の満ち欠けの仕組みは知っていたので,その知識と月食の知識を照らし合わせると満月の日は必ず月食が起きると確信した*1.満月の日の夜,外に出てずっと月を観察していたが月食は起きなかった.

地球の公転面に対して月の公転面は約5度傾いているため,月食が起きることは稀であることを知るのはその2年後だった.そのころには,星への情熱は宇宙の真理への追究に変わり,物理学者を目指すようになっていた.

小さい頃の情熱は姿を変えて,今は数学への情熱に変わっている.形は変われど,自分の考えた仮説が正しいか,実際に自分の目で確かめたいという思いは変わらないと思う.

*1:とはいえ,月食や日食が常に起こるわけではないことは知っていた.しかし,この目で確かめてみたいという好奇心が勝った.

漢字との付き合い方

今となっては苦手意識などないが,小学生の頃は漢字がとても苦手で全然書けなかった.字も乱雑で,おまけにひらがなで書くのでとても読みにくかったと思う.そんな2年生の夏前の三者面談の際,あまりの漢字の書けなさを指摘された.

振り返ってみると,普段勉強に口を出さない母が唯一無理やり僕に勉強をさせたのがこのときだった.読み書きができないことは生活に影響があるという思いからだろう.文字通りしばかれながら漢字の練習をさせられた.そのおかげで,完璧とはいかないが,当時習っていた範囲の漢字はある程度かけるようになった.

それ以降は,漢字はやらないといけないという意識が芽生えるようになった.ある程度しっかり練習するようになり,小学3年生のころ漢字50問100点満点のテストで満点を取った.母は喜んでくれたが,実はこの100点には裏がある.「洋ふく」の「服」という漢字を書かせる問題だったが,分からなかったので「洋」と書いたら教師のミスでマルになった.本当は98点の100点の思い出だ.それ以降小学校の漢字テストで100点は取れなかった.小学生の頃の心残りだ.

ところで,おととし機会があり漢字検定2級を受けた.漢検2級の合格目安は200点満点中160点以上だ.忙しい時期だったが,合格を目指し160点は超えようと思って勉強をした.結果は合格であったが,160点には1問分届かなかった.

漢字のように際限がないもののテストは完璧に届かないくらいのほうが良いのかもしれない.今後も漢字とは1問分の間を空けて付き合っていこうと思う.

 

一円を笑う者は一円に泣く

小学生のころの懐古をしようと思う.

小学生のころ,結構田舎に住んでいた.毎日のように学校から帰ると近所の公園で野球をしていた.近場の公園の中では大きい公園だったが,飛ばしすぎたりすると公園の外にボールが飛んで行ってしまうことも多かった.最も飛んで行ったのは公園の正面の道とは逆側の大きな家だった.

その家は周辺の地主の家で,正方形の公園の1辺すべてがその家に面していたので,飛びすぎたボールはすべてその家の敷地に入っていく.ボールが入ってしまうと,じゃんけんで負けた人がボールを取りにいくのだが,これがとても大変だった.その家の人は,みんなから雷さんとあだ名がつくほど簡単に怒る人だった.ボールを取りにいくと1時間怒られるなんてしょっちゅうだった.

ある日,ボールが入ってしまい,僕がじゃんけんに負けた.しぶしぶ取りに行き,案の定怒られた.早く終わらないかなと足元を見ると1円玉が落ちていることに気が付いた.拾い上げ,落ちていましたと雷さんに言うと,雷さんは「一円を笑う者は一円に泣くという.だからこれは持っておきなさい.」と言われた.

この話を思い出すにつけ,一円を笑っているのは雷さんじゃないかと思う.