ふたごはたいてい区別がつかない

小学2年生の頃、好きな子をふたごの子と間違えた苦い思い出

キレる

今日、ふと考えていた。激昂することを「キレる」という。一体何がキレているのだろうか。日本語的にはきっと「堪忍袋の緒」が切れているのだろう。しかし、ふと自分自身を振り返ってみると、激昂するほどのことがあったときは、その人との関係を断ってしまう。関係が「キレて」しまうのである。

そのように考えてみると、激昂したときに、何が切れているのかは各々違うように思える。社会の中で、僕たちはいろんな"糸"で繋がれている。

ところで、インターネットは非常に便利だと思う。パソコンでネットに繋いだり、用が済めば接続を切ればいい。社会の中よりも遥かに簡単だと思う。

そんなことを思いながら、今日もパソコンの電源を切って眠りにつくのである。