ふたごはたいてい区別がつかない

小学2年生の頃、好きな子をふたごの子と間違えた苦い思い出

つらいときに読みたくなる一握の砂

みなさんこんにちは。

寒くなってきて、本格的に冬の訪れを感じる季節になりましたね。

今日のテーマですが、啄木です。

 

みなさんは石川啄木の「一握の砂」を読んだことはありますか。啄木の代表作です。

啄木は金銭面で非常に困窮し、また小説も売れず苦しい日々を過ごしていました。それもあり、「一握の砂」では悲観的な、挫折を詠むことが多いです。一方で、その挫折の中でも辛さを耐えしのごうとする力強さのある詩もあります。今日はいくつか紹介したいと思います。

 

不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心

この詩には非常に共感をしてしまいます。というのもわたくしぜろりんは、高校生の頃、明日香村の芝生の上に寝そべり「芝生の上に寝そべるのめっちゃ気持ちいやん!!!オナニーみたいなもんやな!芝生でオナニー!シバニーや!!!!」

などとほざいていたため、とても共感します。

おふざけはほどほどに、この詩は少年の未来への希望に満ち溢れている様子などを詩っているのではないかなあと僕は感じます。

しかし、良い意味だけではありません。啄木は中学をカンニングによって退学しています。おそらく悲しさも含め空に思いをはせていたのでしょうね。

 

砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもい出づる日

みなさんは初恋を覚えていますか。僕は初恋いつなのかなあって考えると黒歴史の数々を思い出して辛くなっちゃいますね。そういうことを踏まえると、啄木のこの詩には共感してしまいますね。啄木にとっても初恋はつらい思い出のようです。

この詩では、初恋というのは小説のメタファーだと言われています。書いても書いても売れない小説に対し、辛い思いを抱いてのでしょう。

 

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻とたしなむ

友人とひさびさに会うと、みんなが立派に見えるときもありますよね。自分だけ置いてけぼりのような感覚になるでしょう。啄木のこの詩の上の句を現代的に言うと「みんな立派すぎ。。。マヂヤミリスカシヨ。。」これだ。

一方で、下の句はさわやかにまとめていますよね。辛いときはのんびり、一人ではなく心のよりどころの妻と二人で花でもたしなむ。いい詩です。