ふたごはたいてい区別がつかない

小学2年生の頃、好きな子をふたごの子と間違えた苦い思い出

受験数学に対しての所感

みなさんこんにちは、雪が降ったりなど寒さが厳しい季節になりましたね。

冬は受験の季節でもありますね。中学生から勉強を見ていた子も、今では共通テストを来週に控える受験生です。時々、進路や勉強について相談をしてきて、受験生らしいひたむきさを感じます。

 

今日の話はタイトル通り、受験数学についてです。みなさんは受験数学に対してどのような印象をもっていますか。ご存じの通り、僕は純粋数学を専攻しているため、普通の人よりかは数学に触れている時間が多いのではと思っています。そんな中で、「受験数学はパターンやセンス、受験数学と大学数学は違う」などの意見をよく見るので、僕なりの所感について話したいと思います。

 

以下の文章は、僕の主観に基づいているのであまり真に受けないでもらいたいです。

まず初めに、残念ながら数学には向き不向きがあると思います。というのは、数学は、数学的なバックグラウンドに支えられた「当たり前」という感覚の多さが重要だからです。

例えば、文字式の展開をa(b+c)=ab+ac、と定義するのはなぜ適切なのでしょうか。これは僕たちが普段計算する中で、たとえば、2*3+2*5=6+10=16=2*8=2*(3+5)が成り立つからです。この計算が、文字式の展開を上のように定義する正当性の根拠なのです。

このように、数学という学問は僕たちの普段の数学的な感覚を抽象化しているのです。そのため、抽象化の元になる具体例をどれだけ知っているかが重要です。*1

 

受験数学について語る前に、大学でやるような抽象数学がどのようなものかについて話したいと思います。

まず初めに、上に述べたような僕たちの感覚を自然に抽象化した概念を定義します。その定義から新しく言えること、すなわち命題や定理を証明します。命題や定理は、「あれ?もしかしてこういうことが成り立つのではないか??」と予想するところから始まります。こういった部分に数学的なセンスが必要なのでしょう。予想すると示したいことができます。証明するために意識するべきことは2点です。自分が今何を仮定しているのか」「自分がいま何を示そうとしているのか」です。

例えば、数学的な具体例ではありませんが、「白色のカラスが存在する」と予想を立てたとしましょう。このとき、存在を示すために具体的に1匹見つけてこれば示せたことになります。なぜなら実際に存在してる証拠になるのですから。この問題において「示すべきこと」は1匹見つけてくることだったのです。

 

受験数学の話に戻しましょう。

受験数学で、計算などはできるけど、問題を解くことが苦手という人が多くいます。どこから手をつけたらいいかわからない、と言う具合です。こういった状況を解決するためには、上に述べたように「示すべきことを明らかにする」ことが大切だと考えいます。当たり前のことじゃないか。と思われると思いますがこれができない受験生は多数います。

例えば、最近扱った以下のような問題だとどうでしょう。

f:id:mist0ne:20220106145651j:plain

示したいことは、すべてが素数となるような自然数はないということです。存在しないことを示すのは意外と骨が折れます。なぜなら、上で述べたように、存在することは白いカラスのように1つ例を挙げるだけでいいのですから。そのため、示したいことを存在の話に言い換えましょう。すべての自然数nに対して、上の4つのいずれかが素数でない。すなわち、合成数になる。ならどうでしょうか。実はこの問題は、すべての自然数に対して、上の4つの整数のいずれかが3でない3の倍数になります。

 

示すべきことを吟味することに問題を解く本質があるわけです。そういった点では、受験数学も抽象数学もさほど求められる力や、やるべきことは変わらないわけです。そのため、僕はよく聞く「大学の数学は高校の数学と違うからやめときなさい」と止める教師はなんにも数学をわかってない人だと考えるわけです。

 

受験生の質問対応はいつも、「示すことは何か」と質問し返すところから始めます。言葉にして考える中で自ずと整理されて方針が立つ様子を見るとこちらとしてもうれしいですね。

 

すぐに受験シーズンに突入します。多くの受験生が4月に明るい顔をして大学生活を謳歌できることを願います。

 

*1:そのため、数学ができるようになりたければ、できるだけ小さいころから様々な数学的な具体例に触れる必要があるのです。例えば折り紙など良いでしょう