ら抜き言葉と時代の流れ
みなさんこんにちは。夏も終わり本格的に秋を感じるような気候になってきましたね。中秋の名月は明日なのですが、明日は天気が良くなさそうなので、今日お月見を楽しみたいものですね。
中秋の名月を楽しむのが一つの日本の伝統のように、長きにわたり続いていくものは多くあります。言葉もその一つでしょう。僕の両親はある種の言葉遣いにとてもうるさいのです。その言葉遣いは「ら抜き言葉」です。例えば、「これ食べれる?」とでも喋ろうものなら「食べられる。な!」と言われてしまうのです。とても面倒です。
ところで、ら抜き言葉は文法上間違えである反面、便利な点と理にかなっている点があります。
みなさんはら抜き言葉がいつ発生するかご存知でしょうか。ら抜き言葉は助動詞である「られる」の「ら」が抜け落ちることで発生しますが、どんな時も「ら」が抜け落ちるわけではありません。助動詞「られる」には「自発」「尊敬」「受け身」「可能」の4つの意味があります。実はら抜き言葉が発生するのは、上一段、下一段、カ行変格活用動詞に接続する「可能」意味を表す時のみなのです。つまり、「食べれる」という言葉に、例えば「恐竜に食べられてしまう」といった受け身の意味などは無いのです。
ら抜き言葉は現状の文法では間違えている反面、理にかなっている面があることが理解できると思います。
言語は移り変わっていくものです。例えば英語圏においては「単数形のthey」というものがあります。性別の特定などができない場合にtheyを用いるということは古くからあったようですが、文法上間違えとされてきました。ところが近年において、ジェンダーニュートラルな言葉として用いられる機会が増えており、認められるようになってきています。
いつから抜き言葉が主流になり文法となるのかなぁと思う反面、現代の文法としては間違えていることは理解しないといけないと思っています。両親にら抜き言葉を指摘されるたびに、上述のような反論をし、「はいはい」とあしらわれてしまう中で、僕は論理的な主張は必ずしも正しく無いことを学ぶのでした。